慢性疾患や障がいのある人が働く将来を考える
肩ひじ張って頑張らなくてもいい
これといって問題などはないんです、ほんと。例えば、自分がヘテロで奥さんがあって子どもがみたいなそういうのではないから、自分は。その辺の思いっていうのは特にないし。でも別に全然、将来のことは見通せないということではないんです。あんまり年いってまで働きたくないな、程度ですかね。普通の世の中の定年よりもちょっと早めにリタイアできるような、準備とかをしておきたいぐらいな、といった感じです。
最初のころは、例えば会社でこれぐらいの位置につきたいなとか、あるいはパートナーとすごくしっかりとした関係を築きたいなとか、そっちに対する思いはすごく強かったと思うんです。でも、今別に会社とかで、長く勤められることに越したことはないけど、だからといってどうしてもこの会社で位置につくっていうようなこともないし、パートナー的な関係も、無理して関係を築くようなことっていうまでの思いがなくなったんです。以前よりも「何をしなきゃ」とか「こうあるべきだ」みたいな考えがポッと抜けたというか、そんな感じになってますね。病気があって、それによって、目指すところがこれまですごく一点上のほうっていうような思いの方が強かったのが、ちょっとそこを見ようとすると、逆にちょっと辛くなってしまうというか、その当時よりも自分が何才か年重ねたっていうこともあると思うんですけど、そこまで肩ひじ張って頑張らなくてもいいかなというか、そんな感じにはなってきたような気はします。(男性・30歳代)
子どもの大学進学と自分の老後との兼ね合いを見て考えている将来像
これから大変なんです、子どもの進学があるから。今生活するには困らないと思うんですけど、そこまでしたいから足りないと思う、っていうことを上司に時々相談しています。雇用形態を変えるとか、給与を大きく上げるっていうのは、人事の方でしか出来ない状況のようなので困っています。だけど子供を育てていくとなると、本当に、そういうのじゃ駄目だから、これからは、もし可能性があるんだったら、転職した方が、そういう意味ではいいのかな?とは思ってはいるんですが、居心地がいいし、安心だしというので今ここにいる私がいます。
そんな話をしていたら、子どもも、いいよ、奨学金借りるからとか、段々そうなってきて。だから、もう少し色々考える、一緒に考える必要があります。今は体を壊さないように出来るだけしていきたいと思うんですけど、体調が崩れるですね、時々。それがすごく不安ではあります。ただ、自分の中で計算していて、傷病で暮らせる期間とか、調整しながら私はこの数年間を大事にしていきたいかな、と思っています。でももう、この年になると、友達との間でも、老後の話が出る。私達どうなるのとか、子どもが育った後どうするの、とか。ただ、何も計画できていません。やっぱりそれって、いつも目の前の部分で、一歩先だけを見て動いているので、老後はちょっと考えられていないから。本当は多分、そこが一番大変なんでしょうね。(女性)
病気のおかげで満足できるような仕事ができている
仕事内容ももちろん楽しいですし、会社の風土もすごくいいですし。残業もないし。給料はそんなに高いわけじゃないですけど、そこそこ普通にもらえるし。一人で生活していくにはいいし。だから逆に、HIV陽性になった当初は、もう本当にそれこそどうでもいい、さっさと死んでしまいたいと思っていましたけど、だんだん時が経って、なかなか死なないじゃないですか。生きてかなきゃいけないってなった時に、自分がすごい、やっていて楽しい仕事に出会えたっていうのは、前の会社でもそうですけど、今の会社でも、ものすごくありがたいことだなっていうふうに思います。こんなに今、みんな仕事が嫌だとか上司が嫌だとかっていう人がたくさんいる中で、自分はそういうのは言いたくてもない、材料がなくて、本当に楽しい仕事をすることができているって、こんなに幸せなことはないなって。まるで神様がこういう病気を与えたけど、その他はハッピーにしてあげようっていうふうに、プラスマイナスつけてくれたのかなっていうぐらい、すごく普段の生活は、本当にこの仕事頑張っていきたいっていうふうに思わせてくれている会社であるので、すごく今はラッキーだなと思っています。(男性・50歳代)
死ぬと思った→思わなくなった→病気を意識しなくなった→老後を意識
薬が発達して、いわゆる、言い方悪いですけど長生きできるようになってきたじゃないですか。で、私もそうですけど、私の上の方とかもずいぶん長く服用して、長く生活しているということがある程度見られるようになってきたじゃないですか。私は本当に普段は薬は一日2回飲むんですね。飲むんですけど、その薬もビタミン剤を飲むような、サプリを飲むような感じになっていて、本当に歯を磨く、顔を洗う、薬を飲むっていうそんな感じになっていて、普段自分が病気だっていうことを本当にもう、10年以上も付き合ってきて、忘れるんですよね。なんですけど、こういうようなインタビューがあったりとかするとああ自分は陽性者なんだなっていうようなことがあったりして。他の方って、私とか私以上に長く付き合っている方って、どういうふうに考えているのかなとか、逆に今最近(HIV陽性に)なった人っていうのは、イコール死ぬっていうことがたぶんイコールじゃなくなってきてるところもあるのかな。私ぐらいの50代とか60代の人って、一回たぶんリセットされちゃったと思うんですよね。先に死があるって誰もが考えたと思うんですよ。でも、薬が発達してきて、死なない死なない死なない、生きてる生きてるっていったときに、また自分の人生を再構築していくのって、どうやってやってきたのかなっていうのがすごい同じ陽性者として、すごく興味があります。(男性・50歳代)
病気にとらわれずやりがいをもってバリバリ働く
HIVに執着しすぎると結局のところ、そこのフィールドを起点としてでしか物事が考えられなくなり、自分中心の話になりがちでした。何かにつけて病気のせいにして言い訳してみたり。でもちょっと待てと。確かに血液中にHIVはいるのかもしれない。しかし、五体満足。はたから見れば病気を抱えてるようには見えていないはず。むしろ健康体に見えていたわけです。
実際HIVであることを理由にして、やるべき仕事に対して「調子悪くて対応できなかった」と言い訳したことがあるんです。しかし、それは単に「やらなかった」だけで、弱い自分を出した瞬間でもあり、スキルもなくこれを理由にしてばかりいたら成長もないなって。年齢も年齢。何のために代表に病気を打ち明けたの?できない理由とするため?いや違うよねって。
実はHIVであることを一旦忘れて仕事しよう!!!って気持ちを切り替えた頃がありました。薬を毎日飲むことだって、歯磨き、お風呂と一緒。サプリメントを飲む的な自分の体に・生活に必要なこと!ていう軽い感覚。おそらく、この頃からSNSの活用やブログ掲載が控えめになったと思います。病気にとらわれず仕事をする自分と向き合うために。
正直病気であろうとなかろうと、個人の考え方ひとつでやりがいなんていくらでも見出せるはずで、偏見もあるかもしれませんが、HIVだからやりがいが見いだせないというのは大きな間違いだと思うんです。単に目の前に広がる仕事をいかに楽しく先を見据えて仕事できるかどうかじゃないかなと。
お客様のためになった!ありがとうって言ってもらえた!
些細なことでもプラス要因となる出来事を積み重ねることで、それに気づき、やりがいに変えれると仕事は楽しいです。(男性・30歳代)
周りを変えるのではなく自分が変わることが重要
そうです。もう周りを変えようなんていうことはできないです、絶対。だったらもう自分が変わってやるしかないです。それはたぶん、HIVじゃなくても、別に健常者の方でもたぶん一緒だと思います。どんな仕事するんでも、自分がやっていて気持ちいいようにもってきたいじゃないですか。そうするにはどうしたらかなっていうのをやっぱり考えて、工夫して、結果、良くなったらいいじゃんていうところですよね。なので、障害者枠で入りましたけど、今の会社に、その障害者を意識することなく、業務はやっています。(男性・50歳代)
病気をアドバンテージにしないこと
まずなぜその会社に入りたいかっていうことですよね。何ができるかっていうことです。病気をアドバンテージにするのはちょっと違うのかなっていう感じとも思うんです。分かってもらうってことはすごく重要ではあるんですけど、それを前面に出すんではなくて、この会社で私は何ができるかっていうことを考えないと、またそこで、ちょっと違ったなっていうことで、転職繰り返しちゃうんじゃないかなっていうのはあります。そうそう簡単に転職はできないと思うので、よほどのスキルがない限り。スキルがあれば別だと思いますよ。いろんな会社でやっていけるだけの。でもそうではない限り、その会社で自分に何ができるか、どんなこと貢献できるかということを、陽性者だからということではなくて、その一人一人個々人としてってことがやはり重要かなと思います。(男性・50歳代)